花束もらい涙した14歳、山口百恵
2003年(平成15年5月12日) 朝日新聞
30年前の5月20日、デビューを翌日に控えた14歳の山口百恵さんが、ここで歌った。少中学校時代を過ごした神奈川県横須賀市にあるデパート「さいか屋横須賀店」の屋上。晴れた日で、青い海がよく見えた。
会場にイスはなく、家族や元同級生を含む立ち見の観客は、当時のマネージャーSさん(56)によると「格好がついた程度」の百数十人。少女は「私が私でなくなるの」(デビュー曲「としごろ」)を歌い、友だちからの花束贈呈で涙を流した。
Sさんが百恵さんの涙を覚えているのは、このときと日本武道館での引退コンサートの2回だけ。当時の横須賀店催事担当、Hさん(58)も「あいさつにも浮ついたところがなく、同世代の新人歌手とは雰囲気が違っていた」と振り返る。
この屋上は今、月一回のフリーマッケット以外は訪れる人もなく、潮風に傷んだステージが寂しげだ。
「急な坂道 駆けのぼったら 今も海が見えるでしょうか」(横須賀ストーリー)と、後に百恵さんが歌ったように、横須賀は坂が多い。作詞の阿木耀子さんも当時、母親が横須賀に住んでおり、二人の思い入れから、情景が鮮やかに目に浮かぶようなフレーズが生まれたという。
自叙伝「蒼(あお)い時」に、「日曜ごとに通っていた」と記されている中央図書館も、かつて住んでいた団地も、坂の上にあり、今も海が望める。通っていた不入斗(いりやまず)中学の前のパン屋は経営者が代替わりし、店名も変わっていたが、お気に入りだったパン「揚げソーセージ」は今も人気で、昼下がりに訪ねた時には売り切れていた。
【ちょっと小耳に】
■百恵、友和のドラマ「赤いシリーズ」は80年代に中国で放送され、二人の純愛が若者に影響を与えた。来日して、友和さんがおじさんになっているのにびっくり。(中国留学生24歳)
■雑誌「中一時代」は百恵、「中一コース」は桜田淳子が表紙だった。淳子派の私はコースを年間予約。(会社員39歳)
■引退コンサートで使ったマイクは、現在、俳優渡哲也さんの自宅に。
(所見)
実際の新聞記事には、デパートの屋上と、等身大看板の写真が掲載されているのですが、記事内容とうまく適合していて、捨てがたいところがあります。
書斎の片隅にカードケースにいれて、ぶら下げております。
百恵さんのファンでもなんでもなかったのですが、鉄柱がさびだらけになっているステージと、微笑んでいる少女(等身大の看板)、そして背後の青空・・。そして当時のことを淡々とつたえる記事。
不思議に何度読んでも飽きません。そして、元気を与えてくれます。


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